カッパ祭りと水神宮の由来(地元古老に聞く)

八木橋清 さんの話
地元の古老 八木橋さん

水神宮の由来

 

沼津宿東海道志多町川辺、出し(水制杭)の辺りを通行中の牛馬が歩行不能になるのは何かの祟りではないかと心配しきりであったが、偶々、出しの下へ流れ着いたご神体をお祀りしたところ、以来その災害等の馬車の事故も無くなり有り難き事と、地獄の釜の蓋が開くといわれる盆の一六日を期して水神宮の使いをするという河童の雄・雌を飾り水難其の他あらゆる災害の無事祈願を祈念するのが水神宮祭典です。当時の祭典には川廓から志多町にかけて夜店が並び、結構な賑わいでした。

出しの先には芦で出来た祠(ほこら)が置かれ、中には河童が恐ろしい顔で舌を出し目をむき出した雄雌の河童が蝋燭(ろうそく)の薄暗い灯りの中で両手を広げ、お前達の中で言うことを聞かぬ者は一緒に連れて行くぞ!・・・と言って上から、恐ろしい顔でにらみ下ろして居るように見えるなかなかの演出で、神社前の会所(六帖敷位)にはお歴々が控え、水神宮特製の焼印をしたお守り札を販売しており、この札を身に付けて居れば水難に遭わないと近隣町内の子供達も各々が買い求め身に付け得意になって見せ合ったものです。

当時の狩野川は鯉・はや・マルタ・すずき・うなぎ・手長えび・かに等がよく獲れて、鯉こくは極上・手長えびも美味しく上等であった。大人も子供も格好の水泳場でしたから皆よく泳ぎ、飛び込みは穀籐さんの裏が深みで飛び込みの練習場であった。深く飛び込み過ぎて悪たれ坊主が足の甲をざっくり切ってしまった。ガラスの破片か何かがあったのであろう。

遠泳には黒瀬から下河原・蛇松迄時々遠泳大会をやり溜飲を下げて得意になったものです。昭和五・六年頃から不衛生ということで遊泳禁止になりました。


かっぱご本尊
かっぱご本尊

カッパ祭りの由来


志多町と川廓町の氏神さんの水神宮では、昭和30年頃まで7月のお盆に「カッパ祭り」が行われていました。

この祭りは水神さんの使いで子供を水中に引き込むと言われたいたずら好きのカッパを祀り、水難事故や災難防止を祈願する珍しいお祭りです。

祭りの主役は雄と雌のカッパ。髪はトウモロコシの毛。ナスとキュウリの体に昆布の着物、かんぴょうの帯を締め、両手は楓の葉っぱ、葦の薄暗い祠(ほこら)の中で、ろうそくの灯りに照らされて大きな目をむき、赤い舌を出した恐ろしい顔で立っていました。祭りでは、水難避けの焼印入りのお守り木札が売られ、金魚すくいや綿菓子などの夜店が並び、踊りもあり近隣町内から多くの人たちで賑わったお祭りでしたが、時に連れて次第に廃れ、近年の水神宮の例祭は、宮司のお祓いだけで、カッパ祭りはやがて忘れ去られてしまいました。

《復活!カッパ祭り》

平成二十三年の夏、町内有志の「カッパ祭りで町内の絆を強めよう」の呼びかけで「カッパ祭り」が五十年振りに復活しました。祠作りは当時の写真を参考に、カッパ作りは町内の古老から引き継がれて再現されました。町内一同で神事と祭りの復活を祝い、子供たちに祭りの由来や思い出話が語られました。